出生時、へその緒が巻き付いた紫色の仮死状態で産まれ、助産婦さんが背中を叩いて貰ってやっと
産声を上げたと云われてます。
名実ともに、この世に生を受けた時から、自分は人によって生かされて来ました。
高校卒業後、東南アジアを皮切りに海外遊学の後、下関青年会議所に入会し、地域事業にも参画して
ボランティア活動も進めて来ました。
また2011年東日本大震災の頃より想うところあって、家業の防災事業と防災・コミュニティーを組み合わせた
地域に役立つ新規事業を模索を続けてきた結果、やっとTシャツ事業をベースにしたソーシャル・ビジネスを
起業に漕ぎ付けました。
その頃から、女性社員や障がい者の積極雇用にも取り組むようになり、社内が一気に明るくなって来ました。
まさに、企業も地域の皆さまに生かされてきたと感じております。
仕事とボランティアの二足のわらじ家業を両立しながら、「 みんなちがってみんないい 」をモットーに
社員の方が弊社に入って戴いて良かったと実感出来、5年 10年後も、弊社がこの地域向上に繋げていく
経営にも活かしていきたいと、考えております。